こぐらむねの適当日記

こぐらとらむねの適当日記

吹奏楽について

どうも!こぐらです!

 

いや、ブログ書くのが地味に楽しくてめっちゃ書いてます。

あるあるですね、やり始めた時は楽しくて3日程でやめてしまう。みたいな?笑

 

前回話した通り、今回は「吹奏楽」についてお話したいと思います!

 

私は中学校3年間、高校3年間、そして現在約1年ほど楽器と関わっております。

 

まず初めに大会出場履歴について話しておくと

全日本マーチングコンテスト

 中学1年⇒金賞

 中学2年⇒銀賞

 中学3年⇒銀賞

 高校1年⇒銀賞

 高校2年⇒金賞

全日本吹奏楽コンクール

 中学2年⇒金賞

 中学3年⇒銀賞

 高校3年⇒金賞

全日本アンサンブルコンテスト

 中学3年⇒銅賞

という感じになります。

 

元々、中学で吹奏楽部に入ろう!って思ったのは、姉の影響でした。

 

私と姉は5歳差で、私が小学生の時に姉は中学校の吹奏楽部に入りました。

ですが、イジメが原因ですぐに辞めてしまいました。

 

私は「姉が出来ないなら私がやる!」みたいなノリで入部しました。

 

ただ、私が通っていた中学校は当時いわゆる「強豪校」でしたので迂闊に入るところではありませんでした。笑

 

体験入部をし、私は「テナーサックス」という楽器にすごく興味を持ちました。

というのも音が出たからという理由だけですけど。笑

 

いざ入部すると、今じゃ大恩師の顧問から「お前はトロンボーンな」と言われ「やっぱりか」と思った記憶があります。

実は、親から「あんたはトロンボーンしかないだろ」と言われていたので、第1希望テナーサックスの次に第2希望トロンボーンにしていました。笑

 

しかし、座奏もマーチングもアンサンブルも全てに力を入れている学校でしたので、練習はそれなりに辛いものでした。

 

最初は殆どマウスピースしか吹かせてくれませんでした。

確か、マウスピースで20秒間音を出せたら楽器が吹けるようになったと思います。

 

私は元々吹奏楽なんてやってもなく、小学校は陸上部のハンドボール&100mの担当だったので肺活量が本当に全くありませんでした。

 

そのため、マウスピースで20秒が死ぬほど辛かった記憶があります。

 

その次はやっと楽器!

ボロボロのテナートロンボーンを渡され日々スケール全調の地獄でした。

全部覚えないと先輩や顧問に怒鳴られ…毎日本当に地獄でした。

 

また、先程書いた通りマーチングも力を入れていた学校でしたので最初からマーチングの基礎練習がありました。

 

「テンハット」

「セットアップ」

フォワードマーチ」

「リアマーチ」

 

なんだそれ?

と頭が???だらけになった記憶があります。

 

そうしているうちにコンクールのメンバーが決まり私は、コンクールメンバーではありませんでしたのでマーチングに専念することになりました。

 

月日は流れ、私は出れませんでしたが「東関東吹奏楽コンクール」になりました。

結果はダメ金。

3年生だけでなく2年生も1年生も皆、悔しい気持ちで大泣きしていたのを今でも鮮明に覚えています。

私ももちろん大泣きしました。

 

「大切なコンクール時期なのに、私が吹けないせいで、迷惑かけてごめんなさい」

 

本当にそう思って大号泣しました。

その時、生きていた中で1番悔しいなと思いました。

 

だからこそ、マーチングでは絶対にいい結果を残したい。と思いました。

 

それから、予定していた座奏の全国大会に向けての練習はなくなりマーチングの練習地獄が始まりました。

 

ただひたすらコンテを永遠と繰り返す。

基礎練習はフォワードマーチとリアマーチの繰り返し、ハイマークタイム10分耐久レース等…

 

吹奏楽部って誰が文化部って決めたんだ!?って言うくらいキツかったです。

もはや運動部と同じくらいですね。きっと。笑

 

そしていよいよ「東関東マーチングコンテスト」当日。

私は体験したことも無い緊張に包まれて、部員みんなと演技をしました。

結果は「金賞」そして「東関東代表」を勝ち取ることが出来ました。

 

その後の「全日本マーチングコンテスト」では初の金賞を受賞することが出来ました。

 

吹奏楽コンクールで惜しくも全国を逃し、悔しい思いをしたからこそ部員みんなで頑張れた。

その結果が今、出たんだなと思ってました。

 

顧問が口癖のようにずーっとずっとこの言葉を言っていました。

 

【子供は3日で変わる】

 

私は、本当にそうだなと思います。

3日頑張れば結果を結ぶ。

大きな結果ではなくとも何かしら結果が出る。

私みたいなノリで入部した人でも、あの大阪城の緑の床を踏めたのです。

 

もちろん私一人の力ではなく部員みんなの力、顧問の力があったからこそではありますが、マーチングは集団演技であり一人欠けては成り立ちません。

 

吹奏楽部に入った理由は「姉が出来ないなら私がやる」といういわば「何となく」という感じですが、今ではあの時辛い選択をして良かったなぁと思ってます。

 

きっと私は、吹奏楽部に入っていなかったらそのままちゃらんぽらんな奴になっていたでしょう。みんなに言われます。

 

また何が言いたいのかよく分からないブログになりましたが、みんなと何かをやるって言うのは本当に大切なことだと思います。

 

来年から中学生、高校生になる方は是非「吹奏楽部」という文化部と運動部の狭間にいる変な部活に入ってみてはどうでしょうか?

 

次回は吹奏楽についてパート2を語っていきたいと思います。

長らくお付き合いありがとうございました!

 

こぐら